富岡八幡宮の祟りは存在するのか?

元宮司による祟り騒ぎに誰もがショック!

2017年12月7日の夜、東京都江東区の富岡八幡宮の周辺で、富岡八幡宮の宮司である富岡長子さんと運転手の男性が、長子さんの弟・富岡茂永容疑者とその妻に刃物で襲われて死傷した事件が発生しました。
この事件の核心は、既にさまざまなニュースソースで語られている通り、神社の運営や金銭問題、そして宮司の職をめぐる家族間の骨肉の争い…のようですが、他の多くの事件と異なる特異な点は、神社という神聖な場所で働いていた富岡茂永容疑者が、事件直前に富岡八幡宮の氏子宛てに投函した手紙に書いていた『祟り』ではないでしょうか。

手紙には『もし、私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怒霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に崇り続けます。』『万一、富岡秀之が宮司になれなかった場合は、私が作らせた一の宮と二の宮神興を出す事 を今後一切禁止します。もし私の禁に背いて、富岡秀之以外の宮司のもとで、宮神興を出 した場合、私は死後に於いてもこの世 (富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、神興総代会の幹事総代とその子孫達を永遠に崇り続けます。』という、自分の死後にも祟りによって現実世界の出来事に何らかの影響を与えるという文章が書かれていたということです。

神聖な職業というイメージの宮司を務めた人物が『祟ってやる!』という呪詛の言葉を記して殺人&自殺したこのニュースに、多くの人がショックを受けたのではないでしょうか。

富岡八幡宮の祟りは存在するのか?

富岡八幡宮の祟りは存在するのか?

科学が発達した現代に『祟り』と言われてもピンとこないかもしれませんが、それでも多くの人は目に見えない不思議な力を信じています。
幽霊や神の存在を信じない人達も、新年になれば神社にお参りに行き、目に見えない不思議な力を頼って願掛けを行います。
私達は皆、もしかすると、誰でも心の奥底では何かしらの目に見えない不思議な力を信じているのかもしれませんね。
さてさて、果たして富岡八幡宮は富岡茂永容疑者の霊力によって本当に祟られてしまうのでしょうか?

今回は、人間の意識と祟りの関係を元に、これから富岡八幡宮事件で起るかもしれない恐ろしい祟りの仕組みを解説して行きます。

運命と宿命という言葉は誰でも耳にしたことがあると思います。
宿命というのは、人間の意志で変えることができない人生の筋書きであり、自分が生まれた日時や場所や家族のメンバー、そして死期など、自分の力ではどうにも変えられない、人生の中で避けることができない出来事のことです。
それに対して運命というのは、人間の意志で変えることができる人生の選択肢であり、今晩食べる晩御飯のおかずの種類や明日はどこのカフェに行くのかなど、自分で考えて選択できる物事です。

ところで、なぜ運命や宿命というものが存在するのでしょうか?
それは皆さんがよくご存知の『カルマ』と深い関わりがあります。

カルマというのは、人と人が関わる時に生まれるエネルギーのことです。
何かを行いエネルギー(カルマ)を作り出した本人達が、作り出した時とは逆の出来事を経験することでエネルギーは解消されます。

例えば、あなたが重い荷物を持っているお婆さんの手助けをすれば、あなたとお婆さんの間にカルマが生まれます。
例えば、誰かがあなたを騙せば、騙した人と騙されたあなたの間にカルマが生まれます。
実際にはもう少し複雑ですが、大まかにご説明すると、あなたが人助けをすれば人助けをされ、人に騙されれば人を騙してカルマは解消されるということになります。
このように、私達人間はカルマを作っては解消して…という行為を繰り返しながら輪廻転生を行っています。

カルマを作りカルマを解消する

祟りは存在するのか?カルマの解消

次に、カルマと運命&宿命の関係をご説明しましょう。
カルマを作る出来事を『運命』と呼び、カルマを解消する出来事を『宿命』と呼びます。

カルマを作るか作らないかは私達が選ぶことができますが、作ったカルマはそのまま放置しておくと増え続けてしまうので、必ず解消しなければなりません。
カルマを作る/作らないは選ぶ事ができるので『運命の選択』という言葉がありますが、作ったカルマは必ず解消しなければならないので『宿命の選択』という言葉はありません。
このように、宿命というのはカルマ解消のために必ず経験しなければならない出来事であり、人間の意志で変えることはできません。

今世で必ず解消しなければならない大きなカルマを持つ間柄の人は、切っても切ることができない血縁を持って、同じ家族に生まれてくるとよく言われます。
家族の関係は、他人との関係以上に強い繋がりを持ち、愛や幸せというポジティブなカルマや、恨みや不幸というネガティブなカルマを共有しています。
富岡八幡宮の宮司である富岡長子さんと富岡茂永容疑者も、前世から持ち越した大きなカルマを解消し合う関係にあったことは想像に難くありません。

外部の人間が真相を知ることはできませんが、富岡茂永容疑者が凶行に至るまでには、宿命的に避けることができない様々なカルマ解消の出来事(苦難)が家族の間で起こっていたはずです。
現在自分に対して起こっているカルマ解消の出来事は、過去に自分が他者に対して行ってきたのと同じような出来事が起こっている訳ですから、本来であれば、姉弟の間に起こった様々な苦難を経験することでカルマは解消されます。
しかし、富岡茂永容疑者は自身の顕在意識の決断によって、姉である富岡長子さんを殺害してしまいました。せっかくカルマを解消してきた富岡茂永容疑者は、この殺人行為により、更に大きなカルマを作り出してしまったことになります。

さて、この凶行は、富岡茂永容疑者の自殺という結末を持って終わったように見えました。
テレビや雑誌などのメディアは現実的に起きた殺人&自殺という結末を報道し、多くのスピリチュアリストは、きっと来世でお互いにカルマの解消を行うんだね…と結論付けましたが、実はこの話にはまだ『現世での続き』があります。

それが、富岡茂永容疑者の手紙に書かれていた『祟り』の可能性です。
人間の意識の働きを理解すると、自殺をして肉体を失った後も、富岡茂永容疑者の意識はこの世界に留まっていることが分かります。これはどういうことでしょうか?

一つずつ解説していきましょう。

人間には顕在意識、潜在意識、集合意識という三種類の意識層が存在します。各意識には以下の様な働きがあります。

顕在意識:(自己意識)現実世界を知覚する
潜在意識:(自己意識)夢や幻想を知覚する
集合意識:(全体意識)死後に到達する『あの世』と呼ばれる所

私達人間は、顕在意識によって現実世界を知覚し『生きている』という感覚を持っています。
この世に生まれると顕在意識が芽生え、大人になって行くにつれて顕在意識の働きが活発化していきます。
赤ちゃんの頃は、顕在意識(頭や思考)がまだしっかりと働いていないので記憶が曖昧ですが、成長するに従って顕在意識の働きが活発になり、思考したり強い記憶を持つようになります。
私達が年老いても若い頃の記憶を持ち続け、誰もが「若い頃は良かったね~」と話すのは、顕在意識の働きがピークとなる10代や20代の頃の人生に強烈な印象を持っているからかもしれません。
そして、年老いてくると徐々に顕在意識の働きが衰えていき、寿命が尽きると顕在意識が消えてこの世から去り、あの世と呼ばれる集合意識へ帰還します。

『生きている=現実感が強い=顕在意識が働いている』という事なのですね。

通常は、上記のような流れで顕在意識が成長&衰退を迎え、最終的に宿命に沿った自然な死を迎えますが、人間は例外的に自分の意志で『自殺』を選ぶこともできます。
多くの人は自殺をすると『自分』という存在はこの世から消えてなくなり、輪廻転生によって人生がリセットされると思っているのかもしれません。
しかし、宿命によって決められている死期はどのような場合も変えることができない事を思い出して下さい。

残念ながら、自殺をしても自分の死期を迎えるまでは人生は継続します。
え!?そんな不思議な話があるのでしょうか。

自殺をすると、顕在意識の活動が極度に弱まり現実感が薄れて夢の中で生きているような感覚に陥ります。
自殺者は、宿命によって自然な死を迎えた者とは異なり、完全に顕在意識が消えて無くなるわけではありません。
物質の肉体が朽ち物質世界から消え去った自殺者の存在に生身の人間が気づくことはありませんが、自殺をし肉体を失った者の意識は私達が存在しているのと同じ世界に存在し続けています。
例えて言うならば、自殺をすると『透明人間』になってしまう…というような感じでしょうか。

自殺者の顕在意識

また、顕在意識が極度に弱まった状態でこの世界に存在する自殺者(の意識)は、生身の人間が感じているのとは異なる『引き延ばされた時間の流れ』を感じて過ごします。
私達が1年間と感じる時間を、肉体を失った自殺者は10年間、100年間という長い長い時間のように感じるのです。これは、人生を早く終わらせたかった自殺者にとっては、苦痛以外の何物でもありません。

実は、このように時間が引き延ばされたような感覚を、私達も日常の中で感じています。
例えばあなたが本を読んでいる時にウトウトとしてしまい、夢を見始めたとします。
夢の中ではもう数時間もの時が過ぎたような感覚を持ち、ハッとして目覚めてみると、実際には数分しか時間が経過していなかった。という経験はありますか?
または、車を運転中に眠くなり、たった一瞬眠りに陥りそうになり、ハッとして目覚めたことはありませんか?
実際には、ハンドルを握りながら一秒間目を瞑っただけなのに、感覚的には数分間記憶が無くなっていたという体験をしたことがあるかもしれません。
※少し古い映画ですが2010年に放映されたインセプションという映画をご覧いただくと『時間が引き延ばされる』という概念をお分かりいただけるかもしれません

顕在意識が弱まると時間の流れは引き延ばされ、長くなり、通常の一秒は数分に感じられ、一時間は数日分もの時間が過ぎたように感じられます。
自殺をして顕在意識が極度に弱まった状態で存在する自殺者の意識は、本来の宿命が終わるまでのたった何年かの時間を、何百年、何千年もの時間に感じながら、生きているわけでもなく死後の世界(集合意識)へ戻り成仏したわけでもない状態で過ごさなければなりません。
私達は、このような状態となった人間の意識を、浮遊霊や地縛霊と呼んでいます。

自殺後の時間の感じ方

多くの場合、自殺後の存在は顕在意識の力が弱いため、物質を感じることができず、生身の人間が行うように物質を持ち上げたり動かしたりということはできません。
(顕在意識が強く残っている場合には、物質に多少の影響を与えることができる場合もあります。)
しかし、顕在意識の力は弱まっても、強力な恨みを持ち続けている潜在意識の力を使い、不幸や苦難や災厄という出来事を起こし、物質世界に存在する人達に『祟り』と呼ばれる二次的な害悪を及ぼす事は可能です。

このように、超能力者が潜在意識を使い自然を操作し人の思考に影響を与え、霊能者が人に災厄をもたらしたり取り除いたりできるのと同じように、自殺によって肉体を失い意識だけでこの世を彷徨い続けている人達は、少しの顕在意識と強力な恨みを持った潜在意識の力によって、私達と同じ世界に存在したまま『祟り』と呼ばれる超常現象(超能力)を起こすことができるのです。

富岡八幡宮の宮司で姉である富岡長子さんを殺害し、その後に自殺を遂げた富岡茂永容疑者がこのような意識の仕組みに気付いていたのかどうかは分かりません。
しかし、確実なのは、彼が生身の人間として過ごすはずだった残り数十年の余生は、数百年、数千年もの長い時間に感じられるほどにまで延び、今後、富岡八幡宮に祟りを起こすことで更なるカルマを作り続けて行くということです。
富岡茂永容疑者の自殺後の意識がこの仕組みに気づき、本来の寿命を迎える日時まで心静かに過ごす事ができれば、来世で起こるカルマ解消の為の苦難は少しは和らぐのかもしれません。

 

ストレスの多い現代では、自殺に人生の出口を求める人が増えていますが、死の仕組みを知ると自殺をする人はいなくなるかもしれません。
自殺や祟りや呪詛に関して、もっと詳しい知識を得たい人は、私の運営するサイキック.comの以下のテキストをご利用下さい。

知って驚愕!自殺をする前に知っておきたい自殺後のリスク
http://xn--ecksgv6e.com/?pid=112528060

もう死ぬのが怖くない!?死の仕組みと霊の存在を徹底解明!
http://xn--ecksgv6e.com/?pid=113239077

輪廻転生の真実!霊能者の語る前世は嘘かもしれない?
http://xn--ecksgv6e.com/?pid=111880948

知って納得!呪術や呪詛の仕組みと解決法とかわし方
http://xn--ecksgv6e.com/?pid=115949808

3ヶ月のサイキック古代呪術でどんな呪術や呪詛も解除する『呪縛解除の術』!
http://xn--ecksgv6e.com/?pid=120319044

↓潜在意識に働きかけ、最良の運命を引き寄せる究極のヒーリング?

> オムニアヒーリングの詳細はこちら